荼毘に附された。梶浦逸外老師を大導師に、臨済寺老師を奠茶師、松源寺豊山老師を奠湯師に仰いで、学園葬が厳修された。葬儀委員長には一高時代の同級生で、60年来の親友松崎祐存氏、副委員長には福原龍蔵氏、片平七太郎氏、小宮一夫氏が当たった。会場正面には遺影が飾られ、その裾より富士山状にびっしりと、白菊・黄菊が敷きつめられ、周辺すべてただ菊一色という、誠に明治の気骨に富んだ先生に相応しい菊花の大葬儀であった。哀悼と涙にくれて、常葉学園歌が斉唱され、幼稚園児の代表が、整然と菊花をささげる姿や、声涙ともにくだる数々の弔辞には会場ひとしく紅涙をしぼるの感があった。本葬後遺骨は臨済寺に納められ、永遠の眠りにつかれたのである。法名は妙心院正眼泰彦大居士という。創立者死去を告げる新聞記事創立者 木宮泰彦の逝去31創立者の霊柩車をお送りする生徒たち〈昭44・10〉子浦臨海学校の浄行院〈昭46・10〉 11月7日常葉高校木宮記念館に於いて、臨済宗妙心寺派管長
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