より高きを目指して
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昭和44年9月24日、大仁町役場において、常葉学園創立者木宮泰彦理事長と大仁町稲葉嘉太郎町長との間に、大学創立のための町有地買収の調印が行われた。3年前念願の短大創立を果たし、最後の夢を四年制大学の創設にかけていた創立者は、82歳の老躯をひっさげてこの席に臨んだが、僅か1か月後突然他界することとなった。そのあとを受け木宮和彦理事長は、数年の歳月をかけて、音楽大学そして薬科大学と、新大学の構想を重ねた上、いよいよとした。ところが、思いもかけぬ難問に遭遇、結局この地での大学建設計画は断そこで昭和49年8月、この契約を解消し、同年12月新保することとなった。漸く昭和53年4月14日創立事務先ず当面教育学部の開設を目指して、10年来の夢を実念せざるを得なくなった。所を開設する運びとなり、現させることとなった。昭和55年4月1日、元  学部初等教育課程(専修静岡県副知事諏訪卓三学長、創立事務所長元静大教授斉藤廉治学部長のもとに、常葉学園大学教育学科 理科、音楽、美術、入学定員 時に児童教育研究所が設置された。4月23日入学式が挙行され、第1期生新入生たちは研修センターにおける3泊4日の研修に臨み、建学の精神に基づく人間教育、大学生活の心構えなど盛り沢山の日程を規律正しく消化して、学生生活の第一歩を踏み出した。国語、社会、数学、常葉学園大学の創設四年制大学の夢実現建築進む常葉学園大〈昭54・12〉た本に格静的岡準市備に瀬名取にり用か地かろを確う橘小学校の創設常葉学園大学の創設35常葉学園大 開学式〈昭55・6〉研修センターと常葉学園大〈昭55・4〉139名が入学した。栄ある100名)が発足、同

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