より高きを目指して_令和7年
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高校認可への夢実現男子校の誕生橘高等学校・橘中学校の創設早速認可申請書を提出した。かくて昭和26年8月31日をもって、静岡女子高等学院を高等学校として設置することが認可され、ついで、10月1日「常葉高等学校」と改称した。学園関係者がまさに待ちに待った高校認可がこの時実現し、常葉学園の発展の礎が、ここに築かれたのである。って、当時の学園の夢は七軒の校地内のバラックを移転し、もう1棟校舎を建設し、高等学校の認可さえ下りれば、いうことはないというのが、切実な念願でもあった。県との打合せでもバラックがとれて、もう1棟建ったらという感触であった。特に、時の担当であった佐野佐利氏の強いバックアップもあって、暗闇にかすかな明りが灯された感があった。昭和25年末までに7軒のバラックが、順次移転完了したことは既に述べた通りであるが、ここに待望の木造2階建校舎1棟85坪の建物を新築することとなった。この建設には父兄の協力や斡旋があったので、小島村森林組合に請け負わせることになった。着手は早く昭和26年の2月には基礎工事が終わったが、物価の高騰で追加金の交渉やら、金策ができないこともあって工事は中断され一時見通しがつかなくなった。小島村の父兄の尽力で再び6月4日起工し、8月末には落成した。この校舎の落成を待つかのように、私学審議会のメンバーが8月の暑い最中に現地調査のため来校された。この視察メンバーの一人西遠の岡本氏が、下駄箱を見て、『こんないい下駄箱は俺の処にもないよ』と言って厚意を示してくれた。審議会は、かなり意見が分能性を期待する意味で、認可すべきだという答申が出された。大方の委員の同情もあって、やっとここまで漕ぎつけたわけである。在学中の生徒のことを慮History of Tokoha   昭和38年は高校入学生の急増期であった。県内でも公私立の新設校がいくつか開校したが、常葉学園においても新たに男子高校を開設することとなった。喜寿を迎えた学園創立者木宮泰彦老校長は、昭和21年の静岡女子高等学院の開設以来、女子教育にその情熱を傾けて来たが、更に一歩進めて学園の成長発展を期し、日本の将来の繁栄を目指して男子教育にその最後の情熱を傾注しよおもんぱか常葉中学校・常葉高等学校の創設高校設置認可までの苦渋橘高等学校・橘中学校の創設25竣工した常葉中・高の新校舎〈昭32・10〉学かれ年たのよ途う中だでがは、あ将っ来たのが発、展既のに可常葉中・高 水落地区の航空写真(左上)旧静岡刑務所〈昭36〉銀杯

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