常葉高等教育の原点とこは幼稚園の誕生常葉女子短期大学の創設とこは幼稚園の創設望の短期大学が創設される運びとなった。昭和41年4月11日創立者木宮泰彦初代学長は、念願の女子短期大学第1回入学式を迎えたのであった。入学者は国文科18名、保育科85名の厳しい出発であった。副学長に木宮乾峰教授、国文科長に松崎祐存教授、保育科長に糟谷実教授が就任した。とこは幼稚園は昭和41年4月、常葉女子短期大学の開設に伴い、保育科の実習園として設置された。初代田中阿以園長のもとに、職員5名、園児31名をもって開園した。初年度は開園早々花壇づくり、桜の記念植樹、秋には運動会を草薙で常葉高校生と楽しみ、遠足では護国神社でどんぐり拾いをした。こうした行事の中で、どんぐり拾いは現在もなお続けられている。運動会は2年目からわった。そこで改めて同年4月常葉女子短期大学創立事務所を設置、所長に中央大学より木宮乾峰教授を迎えて本格的準備に取りかかった。校地・校舎の整備とともに、開設学科の決定、それに伴う教員確保等許可られた。その結果、たまたま12月19日学生募集説明会開催中の会場に認可の朗報が伝えられ、漸くその労は報いられた。国文科・保育科それぞ昭和21年浅間神社の境内で、静岡女子高等学院を開設し、地域の青年女子の教育にその半生を捧げようとした創立者木宮泰彦の情熱は、その後、学制改革に伴い常葉中高・橘中高の設立・経営に注がれて来たが、今や再び原点に帰り女子高等教育の初志を貫くべく燃え上がるのであった。昭和38年橘高等学校の開設後、その隣地に短大設置のための用地を確保していた。いわゆるベビーブームの波が、まさに大学に押し寄せようとしていた。全国各地に大学・短大が設置されている中にあって、常葉高等学校卒業生の中にも短大進学を希望する者が相当数認められていた。逸早くその夢を実現させようと、昭和40年度開学を目指して準備が進められたが、基準を満たすことができず計画は失敗に終28第1期工事の完成が近い常葉短大〈昭40・11〉申れ請入の学た定め員、50東名奔、西小走さのい準な備ががら進もめ待History of Tokoha 常葉短大開学式〈昭41・11〉木宮泰彦学長を囲んで〈昭41・4〉
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