より高きを目指して_令和7年
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初めての地域進出双子の姉妹校の誕生常葉女子短期大学(菊川)常葉短大菊川高等学校菊川キャンパスの開設町議は揺れた。工場誘致の声も聞かれたが、公害問題に厳しかった時の動きの中で、結局土地柄からいっても、大学の誘致こそ最適であるとの結論に達した。紆余曲折を経て、かねがね地方進出を意図し大学創設に意欲を燃やしていた常葉学園に白羽の矢が立てられた。昭和44年秋、この地を視察した木宮和彦理事長は、この土地が美しい樹木に囲まれた見晴らしのよい勉学の好適地であると判断して、すでに用地買収を済ませてあった伊豆大仁に先立って、この地に短期大学を建設することとし、更に将来の発展を見越して高等学校をも併設すべく決意した。常葉学園初めての地域進出であった。常葉女子短期大学菊川校舎は英文科長に静岡大学から小川五郎教授を、美術・デザイン土田文雄教授を、同主任に短大保育科から井出芳志教授を迎え、そ請や地域社会の期待に応える教育活動を展開することとなった。入あった。一方、常葉短大菊川高等学校は、普通科と美術・デザイン科から昭和45年8月20日、常葉学園木宮和彦理事長と長坂矩男菊川町長との間に、土地譲渡その他、学園の菊川進出に関する諸契約が成立した。翌昭和46年5月5日、学園理事会において、常葉び美術・デザイン科を設置すること、あわせて常葉短大菊川高等学校を設置することが承認され、それぞれ9月25日文部省に、10月18日静岡県に対し、設置認可月29日、両者それぞれの設置が認可された。候補地となった「高田原」は、もともと菊川町およびその周辺の文教の中心であった。小笠農高の移転後、これを如何に活用すべきか32History of Tokoha              短大菊川 第1回入学式〈昭47・4〉学れ科定ぞ長員れには国武と際蔵も化野に時美代大50名のかで要ら菊川キャンパスの全景〈昭47〉女を子申短請期し大た。学翌に昭英和文科47年お1よ

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