校長だより

之山忌によせて

常葉には、2つの大事な日があります。1つは、6月8日の創立記念日です。この日は常葉の誕生を祝い、学校の歴史を改めて知る日です。そして、もう1つは、今日、10月30日です。今日は、創立者 木宮泰彦先生の命日です。先生は今から56年前、82歳でお亡くなりになりました。今日の「之山忌」式典にあたり、創立者の人となりを知って、創立者に感謝する日にしたいと思います。

まず、「之山」というのは、先生の雅号、わかりやすく言うと、ペンネームです。「坊ちゃん」で有名な「夏目漱石」も雅号・ペンネームで、本名は夏目金之助(なつめきんのすけ)といいました。

創立者は、私にとっては祖父にあたります。でも、私が幼稚園生の頃に亡くなったので、はっきりとした記憶はありません。昨年は、創立者のエピソードを2つ紹介しました。2,3年生は覚えていますか。「強い信念をもった人」という話と「なにくそ根性の人」であったという話です。今年は、創立者が大切にしていた「ことば」を紹介したいと思います。

「一日不作 一日不食」(いちじつ なさざれば いちじつ 食らわず)

正門の傍らにある石碑には、この文字が、泰彦先生の直筆で刻まれています。これは、中国、唐の時代の有名な禅僧、百丈懐海(ひゃくじょうえかい)の言葉です。

百丈和尚は晩年に到るまで、一生懸命、みんなといっしょに畑仕事などの作務をしていました。ある時、弟子たちが、高齢な百丈和尚の身体を心配して、畑道具を隠してしまいました。道具がなければ畑にも出られず、百丈和尚は、室内で書物を見ていました。そこへ弟子が食事を運んできましたが、和尚は食べようとしません。翌日もまた同じように食べませんでした。さすがに3日も続くと、弟子たちが根負けして、「どうして、お召し上がりにならないのですか」と尋ねると、「一日作さざれば、一日食らわず」とお答えになりました。

似たような言葉に、「働かざる者、食うべからず」があります。これは聖書のことばですが、意味が少し違います。

「働かざる者、食うべからず」という、聖書の言葉は、「お前は働いていなかったから、食べてはいけない。」という神様が説かれたものです。一方、百丈和尚が言った「一日作さざれば、一日食らわず」という意味は、「私は働かなかったから、食べません。」という、自分の心から出てくる、謙虚な気持ちです。どちらが優れているとか、正しいということはありません。

創立者、泰彦先生は、百丈禅師の「一日作さざれば、一日食らわず」を座右の銘にしていました。泰彦先生には、自分を律して、今日一日を精一杯に生ききるという姿勢がありました。つまり、日々の研鑚を怠ってはいけないということです。日々の研鑚無くしては、何も生まれてこないという戒めを常に自分に課していました。

静岡大学を退職して、わずか18日で、常葉の前身である静岡女子高等学院設立の趣意書を作成したこと。戦後、わずか10か月で、学校を設立したこと。まったくお金もなかったのに、多くの人たちを巻き込んで、60歳から学校を始めたこと。生涯にわたり、40冊近くの著書を書き上げたこと。8人もの子供たちを立派に育て上げたこと、などまさに、「一日作さざれば、一日食らわず」の姿勢をもって強く生きた82年の生涯だったのだと思います。

泰彦先生が大切にしていた言葉をもう1つ紹介します。

「日日是好日」(にちにちこれこうじつ)(ひびこれこうじつ)

簡単に言えば、「毎日がよい日だ」 Everyday is a good day!

晴れの日も、雨の日も、楽しい日も、辛い日も、その一日、一日が最上最高で、かけがえのない日であるという意味です。過去を悔やまず、未来に望みを託さず、今を主体的に生きるということです。楽観的に今を機嫌よく生きるというのも創立者が大病をせずに長生きができた証拠かもしれません。

いかなる苦難にも打ち克ち、より高きを目指して学び続けるという、常に向上心をもってチャレンジし続ける姿勢は、まさに、常葉の建学の精神そのものです。みなさんは豊かな時代を生きていますが、実は変化の激しい、正解のない時代を生き抜いていかなければなりません。泰彦先生の時代とは違いますが、様々な困難があっても泰彦先生のように、自分の中に軸をもって、日々の積み重ねを大切にして欲しいと思います。

エントランスホールに、泰彦先生の胸像があります。いつもみなさんを見守っていてくれています。今日、帰る時には、「立ち止まって一礼」をして、ぜひ先生にあいさつをして帰ってください。きっと喜んでくれると思います。また、正門の石碑もぜひ見てください。

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