常葉大学付属常葉中学校・高等学校

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令和2年度1学期始業式 校長式辞

校長式辞(令和2年度 1学期始業式)

常葉大学附属常葉中学校
校 長  磯邉 晋一


令和2年度の始めにあたり、まずは、私の考えている事を皆さんにお話したいと思います。
今日は皆さんの顔を見ながら話が出来なくて残念ですが、今日の始業式のように、皆さんにお話させていただく機会が、これから何度もあると思います。私は話の中で、皆さんにいろいろなことを問いかけていきたいと思っています。
私の話の この一年のテーマは、「人はどう生きるべきか」です。
考え方や行動の仕方などについて、私自身、またある人の話や出来事などを通して、いろいろ問いかけていきたいと思います。
私の問いかけに対して、皆さん自身に考えていただき、それがその後の考え方や行動に変化をもたらし、皆さん一人ひとりの成長につながってくれることを願っています。
皆さんが周りの人から愛され、信頼され、あなた自身が幸せを感じられ、あなたの存在がまわりをも幸せにする、そんな生き方をしてほしいと願っています。

さて、今、新型コロナウイルス感染が蔓延し、地球規模で大混乱を引き起こしています。
特に、アメリカやイタリア・スペインなどのヨーロッパ諸国では感染者数や死亡者数に歯止めがかからず、医療関係の人たちは疲労困憊を極め、医療崩壊が起こっています。世界の多くの都市ではロックダウンと言われる都市封鎖が行われ、多くの人たちの生活に大きな影響が出ています。
日本でも、学校は3月から休校となり、不要不急の外出はしないように要請され、マスクは手に入らず、トイレットペーパーや食料品などが品薄になる地域もあり、私たちの生活が脅かされています。中には、内定を取り消された若者や、仕事に制約を受けたり、仕事が無くなってしまう人がいたりと、働きたくても働けず、収入に不安を抱える人たちが大勢います。そんな中、多くの人たちが大きな不安とストレスを抱え、いつ終息するか分からない、死に至る可能性もある、新型コロナウイルスという目に見えない未知の存在におびえています。

英語圏では「covidiot(コーヴィディオット)」という言葉も生まれました。「コロナウイルス」を表すcovidと、「愚か者」を表すidiotが組み合わされた言葉で、ウイルスが蔓延する危険を無視して自分勝手に行動する人や、過剰に心配して日用品を買い漁る人などを非難する言葉です。この言葉が流行するということは、世の中がギスギスし始めていると言えるかもしれません。

今まで経験したことのないこのような異常事態の中で、私たちはこの状況をどのように受け止め、どのように行動すべきなのでしょうか。
これからお話しすることを、自分自身に問うてみてください。

あなたやあなたの家族は、買いだめに走り回ったことはありませんか。
自分や家族の生活に必要な物はもちろん手に入れなければなりませんが、自分の安心だけのために必要以上に品物を買い占めることは必要でしょうか。そのことで、本当に必要な人のところへ、必要な物が行き届かなくなるということにはなりませんか。店に物がなくなることで、多くの人が不安と焦りを感じる今の状況に、あなたは加担していませんか。

メディアやSNSを通して、あなたはどんな情報に注目しているでしょうか。特に、身勝手に行動する人のことを面白がったり、非難することが多くなっていませんか。 今、あなたが目を向けるべき人は、よく報道で取り上げられるような身勝手な人たちなのでしょうか。私は、この状況の中で不安や恐怖におびえながらも奮闘している医療関係の人たちや、私たちの生活を守るために一生懸命働いてくれている多くの人たちに目を向けてほしいと思います。もし、あなたがそのような仕事に就いていたら、どんな気持ちで仕事をしているか想像してみてください。今、あなたが目を向けるべき人はどのような人たちなのか、その人たちに対してどのような気持ちを持つべきなのか、よく考えてください。あふれる情報の中で、何に目を向け、どう感じ、どう動くかで、人の生き方は大きく変わってきます。人を批判することからは、何も得るものはありません。

一方で、外出自粛を守っている多くの人たちもいます。あなたはどうでしょうか。
ただ、そのように言われ、言われたことに従っているという消極的な姿勢でいるとしたら、それでいいのでしょうか。

あなたの休校期間中を振り返ってください。自由になる多くの時間をどのように過ごしていましたか。友達と会えない寂しさや部活ができないもどかしさを感じていた人も多かったと思います。しかし、この状況を嘆き、消極的に生きても、何の成長にもつながりません。こういう時だからこそ、知恵を絞り、工夫して生きていくことが大事になると思います。友達と会えなければ、会わない形でつながればいい。時間がある時だからこそ、普段会えない人たちに連絡してみる。遠くにいるあなたのおじいさんやおばあさんはきっと喜ぶと思います。部活ができなければ、自分で工夫してトレーニングすればいい。普段時間がなくてできなかった勉強をしてみるのもいい。今回の経験を通して、将来自分がどのように社会貢献できるか考えてみるのもいい。自分の将来のためにやれることはたくさんあるはずです。

新型コロナウイルスが今後、どのように私たちに影響していくのかは誰にも分かりません。静岡も状況が悪化すれば、また休校になることがあるかもしれません。自分や身近な人が感染することがあるかもしれません。その時に、自分はそれをどう受け止め、どう行動するべきか、この機会によく考えてみてください。
不安はありますが、治療薬やワクチンの開発は急速に進んでいると聞きます。人間はこれまで様々なウイルスに勝利してきました。そこに希望を持ちましょう。
学校再開にあたり、生徒や保護者の皆さんの不安をできるだけ取り除くことができるよう、私たちはいろいろな準備をして今日の日を迎えました。
登校時間を30分遅らせて登校時間の幅を持たせ、45分授業でしばらく行うことや、教室の換気を徹底すること、アルコール消毒液の設置、健康観察の実施、1学期行事の見直しなど、生徒の皆さんの安心と安全を最優先しながら、感染拡大条件と言われる3つの密が重なることがないように、万全を期してやっていきたいと思っています。もし、心配なことがありましたら、遠慮なく担任の先生に相談してください。改善すべきことは改善して、皆さんに安心して学校に通ってもらえるようにしていきたいと思っています。

最後に、皆さんにお願いがあります。
私が校長になるにあたり、掲げた目標の一つが「凡事徹底」です。これは「なんでもないような当たり前のことを徹底して行うこと」を意味します。

今日はその中で、「あいさつ」について提案します。
この学校の挨拶について、私は正直、物足りなさを感じています。顔を合わせるといつも気持ちよく挨拶してくれる生徒がいる反面、こちらから挨拶しても返してくれない生徒もいて、人によって差が大きいと感じます。
友達やクラスメイト同士、先生と生徒の間、そしてお客さんには、自然に挨拶ができるようになってほしいと思います。相手の存在を感じたら、目を合わせて、声に出して、明るく爽やかに挨拶してみましょう。「相手より先に、いつでも、明るく」-この3つが挨拶の基本です。嫌なことがあってイライラしてたり、悲しい出来事などがあったとしても、挨拶だけはいつも変わらずできるようになってほしいと思います。

そしてもう一つ。
外部からのお客さんを見かけたら、立ち止まって挨拶してみませんか。
これを生徒全員でやったらどうでしょう。自分がお客さんになったとして、想像してみてください。出会う生徒が皆、自分に向かって立ち止まって挨拶してくれるんですよ。どんな気持ちになるでしょうか。そんな学校、見たことがありますか。一部の生徒はできていても、全校生徒ができるという学校を私は知りません。
立ち止まって挨拶するというなんでもないことですが、全員でやるということが徹底されると、それだけで学校の空気が変わります。そして、それは必ず皆さんにプラスになって返ってきます。私は、「この学校の生徒ならできる」と信じています。

「凡事徹底」-まずこの1学期は、「挨拶」を徹底していきましょう。

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