常葉大学付属常葉中学校・高等学校

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令和2年度2学期始業式 校長式辞

校長式辞(令和2年度 2学期始業式)

常葉大学附属常葉中学校・高等学校

校長 磯邉晋一

 

 2学期の始まりにあたり、お話をさせていただきます。

 とても暑い日々が続いていますが、体調は大丈夫でしょうか。コロナウイルスや熱中症の対策をしながらも、自分なりに充実した夏休みを過ごせたでしょうか。

いよいよ今日から2学期のスタートです。今、あなたは、どんな気持ちでこの場にいるでしょうか。「始まるぞ」なのか「始まっちゃった」なのか、どちらでしょう。ちょっとした違いのようですが、この2つには大きな違いがありますよね。「始まるぞ」と思っている人は、ある程度の覚悟をもって「今日から頑張ろう」という気持ちがどこかにあるはずです。一方、「始まっちゃった」と思っている人は、まだ夏休みに未練があるけれども、学校には行かなきゃと思ってとりあえず来たといったところでしょうか。「今日から始まる」という現実は変わりませんから、もうあきらめてくださいね。今日から授業も始まりますよ。

 「心のコップ」という話があります。コップは立てれば水が入りますが、倒れていると、いくら水を注いでもコップに水は入りません。コップを心に置き換えた時、心もコップと同じで、心のコップを立てる、つまり、自分で受け入れる気持ちを持たなければ心に何も入っこないという例えです。これからの話はぜひ「心のコップ」を立てて聞いてくださいね。

 

 私がこれまで式辞の中で一貫して言っていることは、「小さなことを大事にしましょう」ということです。多くの人は「特別な存在になりたい」「特別な人生を歩みたい」と思っているように思いますが、これは人間だけでなく動物も同じで、同類の中で特別でありたいというのが、動物の本能です。しかし、特別な才能を持っているというのはごく僅かで、私のように平凡な能力しかもっていないという人がほとんどです。普通の人がこの社会の中で成果をあげるためには、自分にもやればできる小さなことを実行して、その中で差をつけるしかありません。ところが、やれば簡単にできることを軽く扱ったり、疎かにする人が多く、それ自体が自分の人生を疎かにしてしまっていることに気づかず、結果的に何年たっても進歩が見られないということがあります。

 

 世の中には成果をあげられる人とあげられない人がいますが、その差はどこにあると思いますか。誰しもそれぞれに努力をしていて、成果をあげられない人は怠けて遊んでいるかというとそうではなく、むしろ成果をあげている人より努力していることもあるのですが、結果が思うように出ないということが意外と多くあります。なぜこのような結果になってしまうのでしょうか。思うに、成果をあげられない人はやることに無駄が多く、自分が何をすべきか分かっていないことが原因であるように思います。例えば、受験用の問題集を買ったとします。買った最初のうちはやるのですが、だんだん難しいレベルになってくるとあきらめてしまうとか、その問題集で大丈夫なのか不安になって途中でその問題集を投げ出し、別の問題集を買ってしまうなんてことはありませんか。成果をあげられない人は、自分の手の内にある物の価値が分からない、あるいはその価値が見いだせずに他のものに目移りしてしまうことが多い。そこに無駄があるように思います。逆に、成果をあげられる人は無駄が少ない。言い方を変えれば、自分の手の内にある物の価値を知っているからこそ、それを生かせるよう有効に活用し、物だけでなく自分自身の価値にも気づいているから、成果に結びつけることができているのではないかと思います。

 

 では、どうしたら成果をあげることができるようになるのでしょうか。簡単に言うと、それは、あなたが「気づく人」になることです。気づくというのは簡単そうにみえてなかなか難しいことですが、次の二つのことを心掛けてみてはいかがでしょうか。

 一つは、小さな差を大事にすることです。小さな差は見過ごされることが多く、ましてや結果がわずかしか変わらない、あるいは結果がよくなるかどうかわからないということになると、大抵はやらないで、今までやってきた方法を続けてしまう傾向があります。それは、やり慣れたやり方のほうが楽だし、どんな小さなことでも今までやってこなかったことには抵抗があってなかなかできないからです。それをあえてやってみる。ほんのわずかでもより良いことだと思えるならば積極的にやってみる。すると、すぐに結果は出なくても、この心掛けが将来、大きな成果につながっていきます。目の前の小さな差に目を向けずに、もっと派手な、やればすぐ成果につながる、すぐに儲かる、あるいは人にすぐ認められ、すぐに評価されるというような打算的なことにばかり気持ちが向いてしまうと、結果として一つもいい成果につながらないということになりかねません。結果や見返りをすぐには求めないという心掛けが大事だと思います。小さな差に目を向けるようにすると、そこからいろいろな気づきが生まれます。

 もう一つは、いつも人を喜ばせる気持ちで毎日を送るということです。まずは周囲の人や物事に関心を持つことが大事です。そして、見返りを求めず、人のために自分ができる事を探して尽くす。これを続けると、いずれ周りから認められ、良き協力者になってもらえます。人の喜びを探すことを心掛けていると、そこからいろいろな気づきが生まれます。

二宮尊徳(二宮金次郎)という人をご存知でしょうか。薪を背負いながら本を読んで歩く姿をした像が、昔は多くの小学校にありました。二宮尊徳にはこんな逸話があります。彼は若い時に一軒の小さな家とわずかな田畑を持つようになりました。ある日、その畑を耕そうとしたら鍬が壊れてしまったので、隣の家へ借りに行きました。すると、「いま自分も畑を耕して菜の種をまこうとしているところだから、それが終わらなければ貸せない。」と断られてしまいました。皆さんならこの時どうするでしょうか。彼は、「私が代わってその畑を耕しましょう。菜の種も預けてください。私がそれをまきましょう。」と言って、隣の人の畑を耕し、菜の種をまいてあげたそうです。すると隣の人は「これからは鍬に限らず、困ったことがあったらいつでも言ってきなさい。何でも用立ててあげましょう。」と言ってくれたそうです。もし彼が「いま使うようでしたら、終わってから貸してください。」と言っていたら、その後の状況は全く違うものになっていたはずです。彼のように、一歩踏み込んで人を喜ばせる行動をとると、相手との関係性が良い方向に変わり、思いがけない成果につながるということをこの話は教えてくれているように思います。また、話の根本にあるのは、自分の損得を計算するような生き方をせず、普段からどうしたら人に喜んでもらえるかを考え行動すれば、その純粋な気持ちが伝わり相手の心を動かすということです。

 

こんな話をすると自慢めいて聞こえてしまうかもしれませんが、自分自身のことを少しお話しします。私の場合は本当に些細なことではありますが、気づいたことはできるだけ実行するようにしています。例えば、うちの近所に足の悪いおばさんがいますが、私が出勤前にゴミ出しに行くと、足を引きずりながら両手に大きなゴミ袋を持っているその方と会うことがよくあります。その時は、その方のゴミ袋を預かって捨てに行くようにしています。途中、道路にゴミが落ちていたら、拾って自分のゴミ袋に入れます。ゴミの回収場所にはネットがかかっているため、ネットの両サイドに置いていく方が多いのですが、私は一番置きにくい真ん中あたりに置くようにしています。

コロナの関係でしばらく旅行にも行けていませんが、宿泊先の大浴場に行くと、よく入口のスリッパが乱雑に置かれているのを目にします。あまり数が多いとできませんが、10足程度の量であれば人の分もちゃんと揃えてから入ります。出るとまた乱雑になっているので、また揃えてから出るようにしています。風呂場へ入って体を洗った後は、椅子の上に桶を伏せて置くようにしています。湯船に入って見ていると、体を洗いにいく人はみんなそういうところへ行きます。散らかっているところへは行こうとしません。その人は使ったあと元に戻すかというと、たいてい散らかしたままです。だいたいそういうもので、そんな人が多いなあと思うことがあります。本当に些細なことかもしれませんが、私はこうしたことの積み重ねがとても大事だと思っています。

 

「凡事徹底」ということを言い続けていますが、今からでも遅くありませんから、挨拶も含め、身の回りの小さなことを皆さんにもぜひしっかりやってほしいと思います。そのことが成果をあげる近道であり、本当の意味で自分の人生をより良いものにし、周りの人も幸せにする唯一の方法ではないかと思います。「凡事にこそ気を配る」という気構えを持って、この2学期は自分自身を成長させる期間にしていきましょう。

 

最後になりますが、高校3年生は卒業後の進路を決める大事な時期です。常葉大学や常葉短大を目指す人は、95日の附属高校学力試験に向けて精一杯頑張ってください。それ以外の入試も続いていきます。今、自分がやっていることを信じて、最後の最後までやり通してください。受験への取り組みは学力を伸ばすだけでなく、人間的にも大きく成長させてくれるものです。大変なことから逃げずに、一日一日を大切にしていきましょう。皆さんの頑張りを見守っています。

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